高校を卒業しないとロクな人生を送れないと言われたわたしは、ロクな人生を送っている。

学校のこと

こんにちは、maria(@maria_nkym)です。

 

2011年3月高校1年生の時、専願入試で入った高校を中退しました。

 

2010年7月から高校へ通えず
9月の文化祭を最後に完全に行かなくなりました。

担任との面談で「高校を卒業しないとロクな人生を送れない
という一言を頂戴しても、東京の大学を4年で卒業し、会社員を経験し

フリーでライターとして食っている23歳です。

 

 

同い年で【不登校は不幸じゃない】8月19日全国100ヶ所でイベントをやりたいです。と話す

 

小幡和輝さんが、「不登校の体験談を集めたいです。」とブログに書かれていたので、一旦整理したいなと立ち直った今までを書きました。

 

元から不登校気味でした

 

学生時代、なぜかこだわるのは「皆勤賞」ではないでしょうか?

 

実際、高校3年間皆勤賞の友人もいます。
純粋に尊敬します。できなかったので。

わたしは何かと仮病を使い、休んでいました

お腹が痛い。頭が痛い。だるい。などなど
本当に熱を出したり、インフルエンザにかかったりもありましたが
通知表の欠席欄には、必ず0以外の数字が書かれていたのを覚えています。

 

・皆と同じことをするのが苦痛。
・体育が嫌だ。(運動能力が乏しいので)
・学校に行く理由が分からない。

 

 

こんなことばかり考えて、行くメリットが感じられなかったのです。

心を許せる友人に会いに行くため、中学3年の3学期に休まず行けたことは今でも褒めます。誰か褒めて!!!

 

学校で味わったスクールカースト

 

先述の通り、高校は専願入試で入りました。

そこで痛感したのは「スクールカースト

高校デビューか、綺麗にメイクをし、ちょっと制服を着崩して
ゆるふわ?なJK

 

とは全く異なり、やっとコンタクトデビューし
制服は、ネクタイちゃんと絞め、スカートの裾は膝ちょい上で着ていたわたしは、もちろん下層にいました。

 

話せるクラスメイトはいたが、なんとなく馴染めない。
したい好奇心だけで入った弓道部では、上手にならない。
授業も朝7時には到着し、朝課外から受ける。

 

体力に限界が生じた中で起こったのは、ハブりです。

小・中学生時も、からかいや差別を受けたりはしました。
体重が60キロを超え、天然パーマ、メガネといじるには十分の要素を持っていたので。

その人たちにとっては、格好の餌なのです。

 

 

あからさまな態度は、寂しがりやでプライドがバリ高いわたしに
心をえぐる深い傷として残りました。

 

 

家庭科の教科書を盗まれたり、無視されたり、どこかへ遊びにいく時も誘われなかったり、
一緒に行動のはずが置いて行かれたり、授業中に嫌味を言ってきたり、
「死ね」と言われたり。

 

スクールカーストはわたしの心を真っ黒にしました。

 

正門をくぐれず、友人宅に駆け込んだ

 

 

学校から、徐々に足が離れました。

 

正門の近くまで到着しても、頭に降りてきた「入りたくない」の文字。
足がピタッと動かなくなった。地面に縫い付けられたみたいに。引き返したい気持ちは強いのに、その行為も怖くなってどっちに転べば良いか分からなかったです。

 

入れないなら帰ろう、と自転車で逃げるように帰りました。
どの道を通ったかも覚えていません。とにかく必死にふくらはぎが太ももがパンパンになるまで漕ぎ続けたのは鮮明に脳内に焼き付いています。

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夏頃、完全に学校へ行けなくなります。

朝、制服で家を出てもカバンの中には私服を入れ
家が見えなくなった辺りから、友人宅に向かいました。
自宅には母がいたので帰れません。

同時期に同じく学校へ行かなくなった友人がいたのです。

友人と話し、漫画を読みあさり、ダラダラ過ごします。

 

勉強はまったくしなかった。まったく授業について行けなくなりました。今勉強することは無意味で時間が勿体無い。夏休みの課外も取らず、したいことを欲望のままに。

 

昼夜逆転の生活もスタートします。

 

空が白く、青くなって行く。嫌で嫌でたまらなくて。
朝なんて2度と来ないでほしい。と絶対叶わないことを想い続けました。

 

深夜にアニメやバラエティー番組を見て、朝から眠るのです。


THEメンヘラなこともしましたが、いまは省略します。
ただ、死にたいとはずっと口にしていた。

 

高校のカウンセリング

 

行けなくなっても、頑張って頑張って保健室登校もしましたし、学校のカウンセリングも受けました。

 

そこで必ず話すのは

 

学校に戻る方法」なのです。

 

学校に戻ることがゴールになっているのに違和感を覚えました。

 

学校がすべてじゃないはずなのに。その考えすら良しとしないのです。

 

戻そうと説得した事実と出されたお茶がかすかにバナナ風味だったことは覚えています。

ただ、内容は覚えていません。
記憶に残そうともしなかった。話が通じないと思ったから。

 

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聞く耳を持たないので、カウンセラーじゃらちがあかねぇと思ったのでしょう。

 

担任が直接説得してきました。学校に戻そうと。

 

そして、「高校を出ないとロクな人生を送れない」と言い放ったのです。

 

 

色々言いたいことはありました。でも、何も言いませんでした。
もう何も通じないわ。ここにいても意味はない。

 

スーッと冷静になれました。

 

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数日前に親から聞いたのですが、
わたしが学校に行かなくなった頃、クラスでは少し問題になったそうです。
上の言葉も風の噂か伝わったとのこと。

親の知り合いの孫が当時のクラスメイトだったそうで。
その人曰く、何かしてあげれば良かったと当時思ったとのこと。

 

いや、行かなくなった後に後悔されても遅いわ!

とここで伝えておきます。

 

こんなことして、両親と大ゲンカ

 

完璧に高校を辞めようと決意し、動き始めます。

大事にしたのは
「辞めることで、これからの人生に大きな影響が出る。引きこもりだけはなるな。とにかく動け、考えろ。わたしに良い影響を与える方法を考えるんだ」

動かないことには何も始まらない。
16歳なりに考えて、行動したんです。引きこもりも辞めたかったんです。

 


両親に内緒で
通信制高校を調べまくり、資料請求しちゃったもんだからバレました。

 

毎日泣いて、毎日大声を上げて。両親と大ゲンカ。
高校出なかったらこの先どうなると思ってるの。」「周りはどんな反応だと思う?
入学金いくらかかったと思ってんの。

(大学よりも高校のつながりが強い熊本県。自己紹介をすると「出身高校は?」と必ず聞かれます。高校を辞めることは、ある意味自殺行為です。)

あんなに悲しくて、怖い顔は見たことがなかった。

 

でも、本気で辞めたかった。
お金はかかる。けど、学校がすべてじゃない。
わたしは新しい環境で、一からやり直したい。大学に行きたい。
どうやって訴えたかは記憶にありません。

後から聞いたら、本当に死にそうな目をしていたそうです。

両親が折れてくれました。
本当にありがとうございます。

(精神科でも同じように学校へ戻る話になったので、カウンセラーは信用しなくなってしまいました)

 

高認取得のために動き出す

 

 

説得後は、時間の流れが早かった。

別の友人が通っていた第一学院に見学へ行き、12月入学。
3月に退学が受理されました。

高校2年7月、数学は恐らく満点、一発で全教科合格し高認取得。

大学受験は受験科目に数学がない事が判明したので、ネット授業で1年間で世界史を叩き込みました。暗記苦手なのに。

ダイエットも同時進行し、60キロオーバー→42キロまでに落ちました。
見た目コンプレックスを改善しようと思えたんです。

結果、大学合格。夢の東京行きを手に入れ、4年間で卒業。
2017ミス・ユニバース・ジャパン熊本大会に出場し、会社員として働き、現在はライターやモデルなど好きなことができています。

 

 

ロクな人生送れているんですよ。

 

逃げても良いよ、辛いなら

 

わたしはハブりや学校との考えのギャップで辞めました。

いじめ。クラスになじめない。学校に行きたくない。学校へ行く意味がわからない。不登校にはいろんな理由があると思います。

辛かったら行かなくて良いのではないでしょうか。
無責任かもしれませんが、自分の心に嘘をつくとずっと嘘をつくことになって
自分すら否定し始めます。

死ぬまでその身体、魂なんです。自分にだけは嘘はつかないで欲しい。

 

フリースクールや子ども食堂など、子どもに居場所をくれる場も増えました。

通うも良し、自分で勉強するも良し。

 

手段はたくさんあります。

 

もし悩んだら、わたしに連絡をください。
一緒に考えることはできます。そこから何を選ぶかは貴方自身ですが。

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高校の前を通ることは何年もできなかったし、今でも外を歩くときはサングラスをかけます。辞めたことが本当に正しかったのかと思うときもたまにあります。

高校1年時の写真は1枚も手元にありません。修学旅行にも行ってませんし、制服デートなどしたこともありません。

それでも、今は「あんなことがあったねー」と軽く言えるし、わたしの財産になりました。

その決断と行動力すごいです(^^)」「凄く共感」とありがたい言葉もいただきました。

選択は間違ってはいなかった。堂々と言えるんです。

わたしはこれからも不登校でしたと言い続けるし、発信します。

 

少しでも、何か力になれたら幸いです。

 

読んで下さりありがとうございました。