多動症で失敗はしたけど、今はこう改善しているよ

ADHDのこと

 

こんにちは、maria(@maria_nkym)です(б∀б)

 

今回、わたしが持つADHD(注意欠如多動性障害)の1つ

多動症についてちょっと書きたくなったので書きます。

・多動症での失敗談
・昔この症状を知っていたらどうなっていただろう
・今、この症状があるから今後どうしたいか考えた

当事者の方、身近にいらっしゃる方へ
ぜひご覧ください

多動症とは?

 

・つい他のことを考えて気が散って、すべき仕事に集中できない。
・集中して作業し過ぎて、疲れる。
・1つの作業を順序立てて進めるのが苦手。段取り良く作業ができない。
・複数の作業を一度に進めようとすると、どこから手を付けたらいいか迷う。
・どの作業も途中までで完了できない状態になりやすい。

幼少期は、落ち着きがなく、
座っていなければならない状況でも動き回る傾向にあるようですが

大人になると、脳内の思考へ移るようです。

ですが、今思うと
小さいころから、脳内の思考に関してすごく動いていたなーと実感しています。

小学1年生時の行動が・・・

 

2001年、小学1年生の時の話なのに、未だに覚えています。

図画工作の課題を徹夜して作ろうと必死になったことがありました。

授業でまた続きをすればいいのに、どうしても終わらせたくて・・・
結果、終わらなかったのですが

両親から「寝なさい!」と何度も言われたのに
続けたものだから、連絡帳に書かれ

 

担任にも「そこまでして進めなくていい」と言われ
すごく落ち込んだのを覚えています。

ちびっ子って何が正しくて、何が悪いか
まだまだ知らないことが多いし、

「先生に言うよ」ってパワーワードなんですよね。

だから、次の日に学校へ行くことが恐怖でした。

 

これが今でも続いてしまう

 

厄介なのは、2018年、24歳になる今現在もしてしまうのです。

・1つの事に集中すると、呼ばれても反射的に返事をしない
 呼ばれていることには気付いている。

・近くで物音がすると、衝動的に振り返る
 

・今でもTo Doリスト製作は苦手
 作っても、その通りにいかない。
 通知が来たら、そちらを確認してしまう

クライアントの方々にはなるべく迷惑をかけないように
早く早く終わらせようと文章を書きますが
それでも、ギリギリになったりします。

手をつければすぐなのに、始めるまでが長い。

 

昔から診断が下りていれば、苦労しなかったかもしれない?

 

では、幼少期に気付き
診断を受けていれば解決したものなんでしょうか?

ぶっちゃけNOだろうなと思っています。

学生時代は、発達障害について何も知らなかったし
数ヶ月前、知人に発達障害を持つ方がいて、興味を持って調べたら、自分も?
と気づいたので。

人間何かきっかけがないと、新しいことって知る機会も無いんだなー
と引き出しの少なさにも悲しくなります。

学校では恐らく、特別支援学級に行ってたかもしれない。
確実なのは、学年のいわば普通のクラスでは授業が受けられなかったでしょう。

私が通っていた小・中学校は
特別支援に関して丁寧に対応していて
生徒に1~2人に対して先生が1人ついていました。

体育や給食は一緒で、
どうしても教室に行けない場合は
特別支援のための教室があったので、そこにいることができました。

カーテンで仕切ることができる教室。

他の学校がどうかは転校したことが一度もないので分かりませんが
支援に関しては手厚かった方だと思います。

ですが、学校での支援はあっても、

世間の理解は、2018年現在よりもすごく少ないし
何か違う存在として見られていたかもしれない。

プライドがガチガチに硬かった私には、すごく酷なことになっていたはず。

今では、発達障害は一つの個性であって、
腫れ物を扱うようにするのは違うんじゃないかって思えますが。

障害は障害で苦労することもありますが
なるべく肯定的に捉えたいので、個性としています。

世間一般の考えの変化は、何か影響を与えるのか

 

最近は、テレビやネットでも
発達障害について取り上げることも多くなって。

 

少しずつ世間一般の視線が変わっているのかなとも思いますが

 

もう少し理解ある世の中がもっと前からあったら、
「どうして上手くいかないんだろう」「何か皆と違う感覚だな」と

悩む時間も少なくなった可能性もあります。

 

ただ、当事者・身近の人・世間の目

 

それぞれに考えはあるし、捉え方も全く違うし。

 

発達障害を個性と認識する人もいれば、
自分の足かせになっている人もいるわけで。

これが正しいです。と昔からあった考えや
まぁその企画を作った方の意見を
さも当たり前かのように
普通にするのはおかしいと思います。

 

一部の人には共感できるし、
一部には真逆だわ!と言う方もいる。それが社会ってもんですし。

結論、自分の考えにプラスもマイナスも与えるもの。

多動症をこう考えるようにした

 

過集中って、1つの事に夢中になって取り組める長所になるんじゃないかって
とらえることにしています。

いわゆる「普通」の自分の器の中に
過集中が入ってきちゃったもんだから、

キャパオーバーになって、発達障害と認定されるだけであって。

邪険にすることは何一つ無いんです。

否定せずに肯定することが何よりも
当事者への生きやすさにつながるんです。

少しでも、聞き入れる社会でもコミュニティでも増えたら
救われるまではいかないかもしれませんが

一歩何か
心でも社会でも進むことができるのではないでしょうか?

 

あの時の経験が、無駄にはなってはいないし
これを武器にも盾にもできる。

だからわたしは文章書くし、発信します。

これしかできない」じゃ無くて、「これもできるに変換して行動

目下の目標ですな。

 

Facebookで、「発達障害についてフラットに語る

 

こんなページを作りました。

 

少し少し気になる方、ぜひお越しください。

 

maria(@maria_nkym)でした〜(б∀б)